「勉強会」カテゴリーアーカイブ

「ろばの子」の語法 感想1🖨️

ご報告がとってもおそくなりました<(_ _)>

オンラインの語法勉強の報告をジミーさんがしてくださいましたね。⇒こちら
参加したかたの感想が届いていますので、ご紹介しますね。
みなさま、それぞれの視点からの熱い想いが伝わってきます。

Aさん
最初「ろばの子」を読んだ時、正直この話の良さがあまりわかりませんでした。その後、語法に照らし合わせて解釈していくうちに、主人公の内面の葛藤を表す、ある意味数少ない話ではないかと思いました。
そして、子どもの自尊感情を育てるのは周りの大人であり環境であること、それがあれば、難しいと思われることも克服することができる、愛され必要とされて育つことの大切さ。

その後、自分の外見を知ることで傷つくものの、その事実をもきちんと受け入れて「なみのろばの子じゃない」と主張していく強さ。

お姫様の前でろばの皮を脱ぐシーンで、嵐の「モンスター」という歌の「見かけじゃなくて 心を抱いて」というフレーズを思い出しました。欲しいのは、探していたのは自分の本質を理解して愛してくれる唯一の人、その人の前ではろばの皮を脱ぐ必要があった。

お姫様の父親である王様はろばの子に、人として一番大事なのはその人の心で、本人に何の責任もないこと(この場合はろばとして生まれたこと)からは自由になって良いということを教えてくれた存在なのではないのかなと。

こういう話こそ、思春期の子どもや大人達が「自分のストーリー」として、細かい描写のない「語り」で聞いて欲しい話ですね。

Bさん
「おひめさまの視点で見てみる」から「ろばの子の視点で見る」ことでストーリーがくっきりクリアに捉えられスッキリしました。誰の視点で描かれているかを意識することでストーリーに必要な道が浮かび上がる感じでしょうか。レパートリーのおはなしについてももう一度誰の視点なのか意識してみたいと思いました。

「ろばの子がなぜまたろばの皮を着たのか」について
P10 1行目飛び起きてろばの皮を着ようとしました‥ぼくはなんとかして ここから逃げださなければならない」と書かれている所から ろばの子はおひめさまの前で気持ち昂ってか、お姫さまの愛を通して自信を深めてか、皮を脱いでみたもののまだそのまま他の人の前に出る勇気はなく、朝になると夢から覚めるようにまた自信が揺らぎ、ろばの皮を着たのではないかと思います。
P10 6行目 王様に「ここにいなさい。おまえはそんなにも美しい若者だ‥」と大きな父性で受け止め社会的にも認めてもらってむき身の自分でいることに自信が持てたのだと思います。

今回も語法を通して昔話の愛の深さに感動しました。脇役に冷たいのもストーリーをクリアにする重要なポイントなんですよね。視点に気をつけたいと思います。ありがとうございました。

Cさん

語法を一つ一つ確認しながらみていくとストーリーがクリアになり、改めていい話だなと思いました

*欠如した存在のろばの子が成長していく過程で、リュートだけができたことは大事なことで、そのおかげで王女さまと結婚できたこと
*主人公中心にストーリーが進む中で王女の存在ががどれほどたいせつかが見えてくる
*初めて皮を脱いだのが王女様の前で、自分を認めたのが王女様である・・・充足される
欠如しているものは必ず充足されることがより明確にわかりました

王子が皮を脱ぐ場面も考えました
心を許せる王女の前なら皮を脱ぐことができたと思うのですが、朝になると部屋の外(外界)へはありのままの自分をさらけだすことができず、また皮をかぶってしまう
それは成長過程の行きつ戻りつの中の自信のない部分の現れと感じました
最後に王様が皮を燃やしてしまった後、ここから逃げ出したいという不安な王子に対して王様が「ここにいなさい」といいましたが、人生の大先輩からの大丈夫だと背中を押してくれる言葉に王子は力をもらって、覚悟を決め、また大人として大きく成長できたのではないでしょうか

語法と繋がる考えなのかどうかもわかりませんが、また教えていただければと思います

つづく~

2月のプライベートレッスン

こんにちは。
ドラマの見過ぎで目が疲れていて涙目なのかと思っていたら鼻もムズムズしていて、どうやら花粉症がやってきたようです。
今年は飛散量が多いそうで恐ろしい(-_-;)
2月のプライベートレッスンの報告です。

1日目
再話
「貧乏神」
原話『新しい日本の語り5藤原ツヂ子の語り』日本民話の会 悠書館
貧乏神の話をずっと追いかけておられる、その新作です。
なんと、藤原ツヂ子さんの音声が残っております!
語りの森HPでもリンクを張っている〝東アジア民話データベース〟で聞くことができます(^O^)
東アジア民話データベース → こちら
トップページ → 日本各地の民話を聞いてみよう → 東京 → 藤原ツヂ子さんの語り
一番最初に「貧乏神」が出ています。
再話するときに音声を聞けるというのはめったにないパターンで貴重ですね。
原話の語り手さんの語られた話を本を編集した民話の会のかたがどういうふうに読む文章に変えられたかが分かりますし、それをもとにこんどは耳で聞いて分かりやすいテキストにするという作業をされたわけです。
語り手であるからできる作業ですし、やらなければならない作業だと思います。
とても勉強になりました。
参加者さんが貧乏神の話を全国から探しておられることも、すでに研究のようになっているんじゃないでしょうか?
原話をたくさん読むことはとても力がつくんですが自分はそれができていなくて、見習わなくてはと思いました。

2日目

テキストを日常語になおす
「舌切りすずめ」『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』村上郁再話 語りの森
小学校の低学年と幼児さんに語るために、助詞をあえて抜かない個所をのこして、日常語のテキストになおしたそうです。
わたしも、幼稚園で日常語で語って「あ! 意味が分からないんだ」と思ったことがありました。
標準語だと分かるんでしょうが、地元でも小さい子は単語が違って分からないことがあるようです。
この「舌切りすずめ」は、すずめの名前が〝たろう〟なんですよ。
いろんな「舌切りすずめ」があって面白いですね。
語り
「マカトのたから貝」『子どもに語るアジアの昔話2』松岡享子訳 こぐま社
これ、わたしなんですが、4年生に語る予定です。
おはなしを始めたころに覚えて3年ほど語り、その後15年くらい語っていませんでした。
話を戻そうとテキストを読んでみたら、そのころは見えなかったものが見えてきたといいますか、手も足も出なかったであろうことができるようになったといいますか、テキストを整理する箇所を見つけましたのでいったん自分でやってみて覚え、ヤンさんにチェックしてもらいました。
その結果、より語りやすく聞きやすいテキストができてうれしいです。
昔話の語法の勉強を続けていてよかったと思う瞬間でした!

3日目

語り
「鉄のハンス」『子どもに語るグリムの昔話5』佐々梨代子・野村泫訳 こぐま社
去年の11月の中級クラスで他のかたがこの話を語られて、その時の講評と今回のプライベートレッスンの勉強で、わたしは語りもしないのにとても「鉄のハンス」を理解したような気になっています(笑)
ああ、語る当てもないのに覚えたい~~
でも、長い話だし、ほかに覚えないといけないのと、戻さないといけない話がある~~(´;ω;`)
みたいな気持ちを感じております。
語り手アルアルですね。
若い時みたいに力技で覚えられない自分の頭が恨めしいです。
語り手のみなさん、若いうちにたくさん覚えておいたほうがいいよ!
最後は愚痴になっちゃってすいません。
とはいえ、継続することが大事だしそれが難しいですよね。
細く長く続けられるように頑張るのがいいんだと思います。
では、また~~(^O^)/

第27回昔話の語法「ろばの子」

東京で大雪が降った翌日、オンラインで昔話の語法勉強会が行われました。
関東方面から参加されたかたに雪の様子をうかがうと、まれにみる大雪だったそうで、停電もして怖かったとおっしゃってました。
大変だったようですが、そんな中でも勉強会に参加してくださってありがとうございました。

今回とりあげていただいたのは「ろばの子」(『語るためのグリム童話7』小澤俊夫/監訳 小峰書店)です。
この話は、わたしがとても好きな話なんです。
取り上げてもらってうれしかったです。
いつものように、話の最初から順を追って語法を説明してもらうんですが、愛着があって、語っていて、子どもたちの反応も経験している話なので、講義内容がよくわかるというか「なんて楽しいんだ~!」と思いながらヤンさんの話を聞いていました。

その中で、ろばの子が王女と結婚することの大事さ・意味を説明してもらったんですが、これがわたしには新しい発見でした。
いや、よく考えると前にも聞いていたかもしれないけれども、今回2時間以上かけて「ろばの子」を勉強してやっとわたしが頭に入ったというべきでしょうか(笑)
ろばの子の本当の姿を認めてくれた(=たちまち王子を好きになる。一生この人を夫にすると王さまにいう。)その人と結婚するということは、昔話の幸せな結末の結婚の中でも、特に強い意味を持つ〝幸せな結婚〟であるということ。
このことは気づいていませんでした。
今までは、王さまがろばの子のありのままの姿を認めてくれたことには重きを置いて語っていました。
そこに、王女様もろばの子の本当の姿を愛してくれて結婚するという幸せがプラスされて、もう~幸せのてんこ盛りというか、幸せまみれでこんないいことはないという結末が、ほんとにうれしいです。
それと、「ろばの子」は、主人公をいろんなパターンの人物に設定できると思います。
わたしが練習の時や語るときにイメージする主人公は、学校や親に反抗している不良少年とか、過干渉に嫌気がさしている子とか、勉強勉強で抑圧されている子とか、友だちの中で自分を主張できなくて悩んでいる子とか、いろんなパターンを想像します
どんな子どもにも当てはめられるというところが、昔話の含世界性なのかとおもいますが、あってるのかどうかわかりません。
でも、どんな聞き手にも当てはまるというのは素晴らしいと思いますし、それは昔話の持つ力なんだろうと思います。
好きな話なんで、力んで書いてしまいましたが、みなさんは「ろばの子」をどう感じられたんでしょうか?
他の受講生のかたのご感想も、あとでヤンさんがあげてくださると思いますので、楽しみにしています~~(^O^)/

1月のプライベートレッスン

一月は行く、二月は逃げる
これは、かつて上司に言われたことばで、「だから時間がないからしっかり働け」と言われているようでよくない印象を持っているんですが、ほんとに驚くほど速く時は過ぎて今日からもう二月です!
節分の季節とはいっても特に何かするわけではないのですが、豆を投げられて逃げる鬼の気持ちがなんとなくわかるような(笑)
1月のプライベートレッスンの報告をします(^^♪

1日目
①テキストを日常語になおす
「腹を立てた貧乏神」 語りの森HP日本の昔話 → こちら
このところ、いろいろな貧乏神の話を勉強されていて、シリーズで覚えていかれています。
そういう、研究するみたいな話の取り上げ方はとても内容が濃くなって、知識がつくだろうと思います。
でも、なかなかできないことだし、すごいと思います!
この話もそうですが、貧乏神の話はいつもどこかユーモラスな部分があるので、面白くて好きです。
家をきれいに掃除されて怒るという、感情をむき出しにするところは、ギリシャ神話の恋愛ばっかりしてる神さまを連想しましたが、日本の神様は色恋ではなくて環境を自分好みから変えられたから怒るという、なんか駄々をこねている感じが面白いです。
貧乏神からしたら汚いところでないと生きていけないのだから必死なのかもしれませんが
②日常語の語り
「こおった声」『日本の昔話5』福音館書店
この話はわたしです。
落語にもこの話があるそうで、落語の枕に使うそうです。
ほんの短い話なのでなるほどと思いました。
さぁ~っと語ってしまってはいけない所を教えてもらったので、本番ではがんばってそのとおりに語りたいと思います。
あっという間に終わる話なので、ミスしても巻き返す暇はないから短い話も難しいですね。

2日目
①語り
「がちょうはくちょう」『おはなしのろうそく27』東京子ども図書館
ロシアの昔話で、ババ・ヤガーが子どもをさらうのにこの〝がちょうはくちょう〟という鳥をつかうんですね。
最初にこの言葉を聞いたときは、「がちょうとはくちょうが合体した鳥か?」と思ったものですが、ロシア語ではどんな意味がある言葉なんでしょうね。
おはなしを語るまえに、がちょうはくちょうの説明をしたらいいそうです。
そうしたら、聞き手が「がちょうはくちょうって何?」と思わなくてよくて、話に集中できます。
主人公のマーシャは、弟を連れて帰るときに追われているので一直線にだ~~っと帰るわけですが、「急いでいるところは急いでいるように聞こえないといけないが、急いで語ると聞き取れない。聞き取れる速さで語らないといけない」とヤンさんがアドヴァイスされていました。
聞き手が集中していて次の展開を早く聞きたいときは、やっぱり早く言わなくてはなりませんし、その時その時の聞き手の反応をよく見ないといけないということ。
緊迫感が大事なんですね。
というようなことは、練習ではわかりませんから経験を積み上げないといけないですね。
語り手の道は長いです。
②日常語の語り
「雪女」(原題:「雪おなご」)『日本の昔話5』福音館書店
これもわたしです。
お話会が近いので、間に合うように続けて入れてもらいました。
「雪女」は、わたしが思っていた以上に怖い話だったようで、そのことが分かってよかったです。
怪談話は、怖がらせないといけないから演じる話で、その意味では笑話とおなじカテゴリーになるそうです。
なるほどなと思いました。
ヤンさんが「雪女のセリフを言うとき気持ちよく語れる」とおっしゃったんですが、言われてみればほんとにそうで、「おまえ、今見たことだれにも言うなよ」とか、「あれほどしゃべるなと言うたのに、とうとうしゃべってしもたな」とか、とっても気持ちいいです。
山姥のセリフを言うときは楽しい、雪女のセリフは気持ちいい!
テキストも手直ししてもらったし、まだまだ練習しないといけません。

1月と2月は通常の勉強会はお休みなので、プライベートレッスンに参加させてもらってよかったです。
インフルエンザもコロナも両方流行っているそうでまだまだ気を抜けない日々ですが、みんな体に気を付けてがんばりましょうね。

1月の再話クラス

1月もちょうど半分が過ぎたころ、新学期がスタートし、おはなしモードに戻すためにちょうど良いころ合いの勉強会となりました。

再話再検討 「天狗のうちわ」

原話題名:「鳥うちわ」 原話出典:『丹波和知の昔話』稲田浩二 編/三弥井書店

まず、再検討してこられたテキストを読んでもらいます。みなさんどうですかと問われて、よくわかる、聞きやすい、おもしろい、などの感想がでます。私たちは、どんな話か知っていますし、前のテキストと比べてというその基準があります。

【検討した箇所】

心中文で二つの事(まだ起きていない)が一度に書かれていて、二つ目の展開を先に言ってしまっているので、心中文を短くするか、無しにして、ストーリーを順番におさえて行動で表す。

心中文は説明になる→人物の行動をつなぐだけで心の中が分かるようにする

てんぐの誤解(サイコロを振ったらお金が出る)を利用して、主人公がウソをつき、うちわとサイコロを取り換え、その後もうまいことだまして逃げる…その面白さを伝えるようにする。笑い話は先に落ちを言わない。その時点で聞き手に分かっていなくていい、話が進むうちに聞き手が自分で気づく。

初めて聞く聞き手の感情はどう動いていくか、何を思うか、ここで笑う、ここで理解する、再話の視点を確認しました。原話を違う形に変える事が再話です、とヤンさんが言われました。この短い言葉の中に再話の重みと深みを感じます。

再話検討 「聖アントニウスがこの世に火を持ってきた話」

原話題名:同じ 原話出典:『新装 世界の民話13 地中海』小沢俊夫 訳/ぎょうせい

主人公は先を見通すことができる聖者だが、ストーリーはすべて偶然として進む。地獄から火をどうやって取ってきたかが、きちっとわかるようにする。一緒についてきた豚が、ブーブーいいながら地獄を走り回り大活躍するが、豚は特別な豚ではない。そだを切って作った杖を持っていくが、杖も魔法の杖ではない。それなのに、その二つだけで悪魔から火を取る。その二つを活かして再話をする。状況、場所、時間を一致させていく事で奇跡めいてくる。

原題では「この世」、原話では「この地上」を使っている。この世は時間的な奥行きもある言葉。題は訳者が決めている。今までなかった火を聖アントニウスがもたらすのは、この地上か、この世か?使う言葉を決めて、題名と話と同じ言葉に合わせる。

リズムの良い再話…リズムにも個性があって、語り手自身のリズムがある。それを再話にも活かすとよい。それに合わせて、わかるように大きく変えてもよい。

「くまで」が出てくるのですが…聞き手は一瞬だけくまでを想像する。ここでは「ぶたがひっくり返した肥料用のくまでを元に戻し、」となっています。解説を聞き逃してはっきりしないのですが。くまでは、背景に溶け込んでいるので、引っかからずに先に行けるということで良かったでしょうか?例えば「男はくまでを持ってっきました。」だと、くまでって何?と引っかかりやすいと。間違っていたら、どなたか訂正してください~。

「こうやって集まって勉強ができる時間を大切にしたいですね」というヤンさんの言葉から始まった勉強会でした。本当にそうですね。最終的には自分一人でも再話ができるようになることです。語法を勉強していく事で再話の方法も分かるようになるとのこと。(2/6オンライン語法「ろばの子」です)語法を活かした再話が、聞き手に届くものになる。まだまだ、難しいですが、他の方の再話を検討するのは、自分のものより楽しく面白いです!客観的に検討するので、気が付くことも多く、自分が選ばないかもしれない話からの色んな学びを頂けます。そして、皆さんで感じたことを発言するグループ再話は、学びの凝縮時間になります。生まれたばかりの赤ちゃんテキストなので、立って歩くまでを、皆さんであれやこれやと手を出す、わーわーやる、(おはなし自身はどんなことを思うでしょうね…)数ヶ月で歩き出すことができます。その後も完成はなくて、手を加え続けて変わり続ける。ほんと、子育てなんですね。私は、再話したおはなしをまだ覚えていない、語っていないので、そこを実感するために、そちらに向かえたらと思います。

次回は、来年度の原話提出もあります。クラスのみなさん、おはなし探しは進んでますでしょうか。どんなおはなしに出会えるか楽しみです。

次回:3月26日㈫