『瀬田貞二子どもの本論文集児童文学論』報告つづき
え?
そう、まだ続くのですよ~
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《本について、映画について》
「『くもの糸』は名作か」再論 1957年発表
『くもの糸』は、芥川龍之介の作品。おはなしひろばでもUPしてますね~
古田足日さんの「『くもの糸』は名作か」という文章に対して瀬田先生が反論している論考です。
ずいぶん古い論考なのと、もとも古田足日さんの文章を見ていない(図書館休館中~)ので、簡単な報告にとどまりますが、お許しくださいね。
瀬田先生は、古田さんの「くもの糸」批判を3つの点から再批判しています。
1つめ
古田:説話的作品だから、文学でなくて二流の読み物だ。
瀬田:説話、ここでは昔話は、庶民が長い間口伝えで守ってきたものだから、個性的な表現もモラルもなく、公約数的に集約された本質だけが残る。近代小説とは異なって当然。だからといって文学ではないと言えない。というか、説話を下等だとみてはいけない。
引用
説話性を抽出するなら、発端、展開、クライマックス、結果という型どおりの段取りを持つ昔話の形式が、肝心かなめであるといわなければならない。・・・その形式の中で普遍的な面白さを醸し出している
2つめ
古田:テーマは観念的な勧善懲悪。内面を独自な思想で描いていない。
瀬田:勧善懲悪をテーマとすることが、なぜいけないのか。また、「くもの糸」が単純な勧善懲悪ものとは考えない。
片岡良一『近代日本の作家と作品』からの引用
どれほど悪に染まった人間でも、彼が人間である以上、かならず一掬の慈悲心は持っている、それが人間本来の相なのだという、そういう明るい人間肯定がそこに見いだされる。・・・(けれども)人間は本来人間のものである慈悲心に徹することのできない中途半端さを持っているのだ。-そう考えて、作者はお釈迦様と一緒に嘆息するのである。
3つめ
古田:描写は、内容から生まれず、子ども離れしている
瀬田:児童文学での決定的な評価の担い手は、あくまでも子ども自身。ただし、子どもたちは論理的に評価を述べることはできない、時間をかけて保持するか忘れ去るかで評価する。こどもに読んでやると、印象的な描写は少なからずある。が、煩わしい描写がある。
結論として、瀬田先生は、「くもの糸」には弱さがあると言います。それは、描写が弱いことで、内容も弱くなっていることです。だから子供の文学として一流たり得ないと。
引用
子どもたちが文学で得るさいごのものは感動であり、深い経験となって沈潜していく性質の力である。芥川の「くもの糸」には、それが希薄だった。
さてさて、みなさんは、子どもの頃「くもの糸」をどう読みましたか?
ヤンは、糸につかまって下を見ているカンダタが、絵としてめっちゃはっきり見えたことを覚えています。絵本とか挿絵とかじゃなくて、自分が見たイメージね。それと、糸が切れる直前のハッとした緊張!
児童文学としてどうなんだろう。わたしにとっては、印象深い作品だったけど。