いばら姫~比較🎀

『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』マックス・リュティ著報告

第1章いばら姫ー昔話の意味と外形つづき

昔話を解釈するときに気をつけないといけないのは、無理やり屁理屈をこねないことだと、リュティ氏は言います。

例えば、12人の占い女が、大地と自然に様々な贈り物をしてくれる12か月を表す、なんて解釈したとします。
そしたら、13人目の女は何を表すのか?
それは、王座を追われて忘れられた13番目の月だと解釈される。
陰暦では一年が13か月の年がありますよね。
で、太陽暦になったもんだから、13番目の月がなくなった。
「いばら姫」は、陰暦から太陽暦への移行を語る物語だ。
そんな解釈もかつてはあったそうです。
もしそうなら、ペローの仙女は7人しかいない~

この数は、昔話が好む7であり12だと考えればよい。
13人目の女は、量のコントラスト。1:12が拮抗している。

いばらとかハエとかも、いちいち意味を解釈するのはナンセンス。細かいことは、たいていお飾りで、たまたま一番後の語り手によって付けくわえられたものであることが多いんだって。

こうして、グリムとバジーレとペローのいばら姫を比較したとき、
どの時代民族にも共通するテーマがある。
脅しと救い、萎えと新たな盛り、死と復活
違いはどこから来るのかというと、
個々の語り手たちは昔話にそれぞれ時代の衣装をかぶせるのだというのです。そして、それが昔話の魅力。

結論
ペローの優雅と機智、グリムの細やかな心情、バジーレの力と熱、さらに三つの話にあふれているユーモア、そのどれも欠きたくない。

はい、おしまい。
次回は第2章眠る七人の聖者

***********

昨日から、ロシアの昔話研究者ウラジミール・プロップの『ロシア民話』(斎藤君子訳/せりか書房)を読み始めたんだけど。
ちょっと感動的なこと書いてあったので、紹介しておくね。

世界じゅうに類話があることについて、プロップは、こう言います。
ことばや、領土や、国境を越えて昔話は一つの民族から別の民族へと移り歩く。諸民族があたかも共同で詩的財産を創造し、つちかっているようなものである。
こう考えたら、昔話って究極の平和の使者だと思わない?
それからこうも言います。
昔話の普遍性、つまりいたるところに存在するという性質は、不死身であることと並んで、驚嘆すべき特徴である。・・・
なぜ普遍性があるのかというと、昔話には何か永遠不滅の価値があるからで、それについて、この本でゆるゆると説明していくそうです
とりあえず今は、
昔話が持っている情緒、あたたかさ、美しさ、深い誠実さ、楽しさ、みずみずしさ、きらめく機知
、幼児の素朴さと深い英知、人生に対する分別とを併せ持っている点を指摘しておくにとどめる。
めっちゃたのしみ( •̀ ω •́ )✧

あ、プロップさんの本、ごっつい分厚いし、あと2冊、おんなじ分厚さのがあるので、報告はしませんよ。
でも、ときどき、ねえねえ聴いてって感じで書くので、読んでね(●ˇ∀ˇ●)

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です