日別アーカイブ: 2015年9月24日

再話ってなに?  byヤン

連休明け。
穏やかな雨が降っています。
「再話」について考えています。
私は小澤俊夫先生の昔ばなし大学で再話を学んでいます。
昔話の基礎を学んだ後だから、まだ10年足らずです。
雨を見ながら、小澤先生から学んだ再話の基本を思い返しています。
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昔話を聞き伝えて自分の言葉で語った人たちがいる。
その語りの記録から、こんどは私が語るためのテキストを作る。
それが再話。
再話の方法。
1、語り手が言葉にしていないために、ストーリーや場面が見えないとき、それ
を言葉で補う。
2、語り手が話しているうちに、ストーリーに矛盾が生じることがある、それを
整える。
3、語り手がおしゃべりでたくさん修飾がついて、ストーリーや場面のイメージ
がクリアでないとき、削る。
これらの作業はみな、耳から聞いたとき、場面がクリアに見えるようにするため
です。(ここで、昔話の語法の理解が必要になるのです)
ただし、これらの作業は最小限にとどめる。
1について。言葉を補うことで原話の語り手の語っている内容を変えてしまって
はいけない。
2について。あくまでも整えるだけにとどめる。聞き手に矛盾だと感じさせない
程度に、整える。
3について。削ることで原話の内容を変えてはいけない。語り手の価値観を変え
てはいけない。
つまり、原話を尊重する。
その話を語り伝えた語り手への敬意を忘れてはならない、ということですね。
自分の感情や価値観を優先するのではなく、謙遜の気持ちを忘れない。
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わたしは、昔話を本で読んで育ちました。
だから、わたしにとって、昔話は「公(おおやけ)」のものでした。
でも、昔ばなし大学で再話を学ぶなかで、ひとつひとつの話が、ひとりひとり個
人のものであったという、当たり前のことに気がつきました。
桃太郎を語り継いでいる語り手が100人いたら、100通りの桃太郎があるのですよ。
これはすごいことです。
ごく普通に生きたひとりの人間の、ごく普通に生きた肉親から聞いた昔話。お金
ではない遺産。
それを、たくさんたくさん集めて記録した人たち、研究者や学生さん。その仕事
の重さ。尊さ。
それを考えるとき、再話するということの責任の重さ。恐さ。
それでもわたしは再話がしたい。
目のまえにお話を聞きたがっている子どもたちがいるからです。
むかし、あるとこにな……
その瞬間、子どもたちの瞳はきらきら輝きだします。
そのきらきらが見たいからです。
小澤先生、どうかますますお元気で、私たちの目を開いてください。
  ヤン