再話ってなに?  byヤン

連休明け。
穏やかな雨が降っています。
「再話」について考えています。
私は小澤俊夫先生の昔ばなし大学で再話を学んでいます。
昔話の基礎を学んだ後だから、まだ10年足らずです。
雨を見ながら、小澤先生から学んだ再話の基本を思い返しています。
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昔話を聞き伝えて自分の言葉で語った人たちがいる。
その語りの記録から、こんどは私が語るためのテキストを作る。
それが再話。
再話の方法。
1、語り手が言葉にしていないために、ストーリーや場面が見えないとき、それ
を言葉で補う。
2、語り手が話しているうちに、ストーリーに矛盾が生じることがある、それを
整える。
3、語り手がおしゃべりでたくさん修飾がついて、ストーリーや場面のイメージ
がクリアでないとき、削る。
これらの作業はみな、耳から聞いたとき、場面がクリアに見えるようにするため
です。(ここで、昔話の語法の理解が必要になるのです)
ただし、これらの作業は最小限にとどめる。
1について。言葉を補うことで原話の語り手の語っている内容を変えてしまって
はいけない。
2について。あくまでも整えるだけにとどめる。聞き手に矛盾だと感じさせない
程度に、整える。
3について。削ることで原話の内容を変えてはいけない。語り手の価値観を変え
てはいけない。
つまり、原話を尊重する。
その話を語り伝えた語り手への敬意を忘れてはならない、ということですね。
自分の感情や価値観を優先するのではなく、謙遜の気持ちを忘れない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしは、昔話を本で読んで育ちました。
だから、わたしにとって、昔話は「公(おおやけ)」のものでした。
でも、昔ばなし大学で再話を学ぶなかで、ひとつひとつの話が、ひとりひとり個
人のものであったという、当たり前のことに気がつきました。
桃太郎を語り継いでいる語り手が100人いたら、100通りの桃太郎があるのですよ。
これはすごいことです。
ごく普通に生きたひとりの人間の、ごく普通に生きた肉親から聞いた昔話。お金
ではない遺産。
それを、たくさんたくさん集めて記録した人たち、研究者や学生さん。その仕事
の重さ。尊さ。
それを考えるとき、再話するということの責任の重さ。恐さ。
それでもわたしは再話がしたい。
目のまえにお話を聞きたがっている子どもたちがいるからです。
むかし、あるとこにな……
その瞬間、子どもたちの瞳はきらきら輝きだします。
そのきらきらが見たいからです。
小澤先生、どうかますますお元気で、私たちの目を開いてください。
  ヤン

8 thoughts on “再話ってなに?  byヤン

  1. 再話の勉強、ペーペーのジミーです。
    再話の勉強、語法を覚えること、四苦八苦している身としては、1・2・3を紙に書いて貼っておきたいくらいです。
    目の前にいる子どもたちのキラキラお目々ももちろんですが、私は、とにかくテキストが覚えられません。
    好きなおはなしなのに覚えられないとスタートラインにも立てません。
    ペーペーの私は、自分の好きなおはなしにまだこだわっているので、日産のコマーシャルじゃないけど、いままでたくさん“やっちゃってる”わけです。
    いまも、つぼにはまっています。
    でも、やりきりたいんです。
    ヤンさんのブログを読んで、(決意表明みたいになってしまいましたが、)そんな事を思いました。

  2. 再話…。
    ちょっとずつ勉強しています。
    どこまで、補うのか?
    いや、補って良いのか?
    どこまで、削るのか?
    削って良いのか?
    まだまだ、判断の付かないことばかりです。
    でも、
    「原話の語り手への敬意を忘れない」
    重い言葉です。
    「忘れず、常に思っておこう」と思います。
    これも、決意表明か。       ぽん

  3. ちょっとした訳があって、今ブログの更新を控えています。
    なので、ここに書きます。
    今日、地元の例会で自分たちで再話したお話を語りました。
    私の日常語です。
    日常語(いや、大阪弁と言おう)に批判続出。
    素人が再話することに批判続出。
    勿論、自分で再話するなんで考えたこともない人達、
    出典に手を入れるなんて想像もしない人達、
    日常語や土地言葉の語りなど聞いたこともない人達
    東京子ども図書館に通ったこともないのに、自分は東京子ども図書館系列でお話を語ってると思ってる人達。
    だから、戸惑っているのはわかります。
    でも、大御所の一言。
    「お話は、子ども達を本に繋げるために語るんです。お話はストーリーがきちんと伝わることが大事なんです。だから、私達は大先生の書いたお話を選んで語らなければいけません」
    えっ?大先生?
    大先生のテキストなら何でもいいの?
    大先生の本なら、どれでも、耳で聞いて、ストーリーがきちんと伝わるの?
    ちゃうやん。
    (それに大先生も最初は小先生やん)
    私の後に、他のメンバーがヤン先生の奈良の民話の本の中から、1話語りました。
    ストーリーが、わかりやすかった。
    他の大先生の同じお話より、ずっとわかりやすかった。
    そういう意見も他のメンバーから出てた。でも…。
    「このお話は、きちんとした昔話じゃないね。だから大先生のお話を語りましょう」
    えっ?
    さっきと意見ちゃうやん。ストーリー、大先生よりわかりやすかったやん。
    ああ、権威主義。
    ここで、決意表明。
    自分の耳を信じよう。誰が再話したのかじゃない。どんな再話になっているかだ。
    どれだけ、聞き手にストーリーが伝わりやすいかが大事。
    何の為に語るのか、忘れないようにしよう。
    昔話のお話の力を信じよう。
    ネームじゃない。
    聞き手の子どもを信じよう。
                      ぽん

  4. ぽんちゃん、怒ってますね。
    怒りエネルギーが充満(笑)
    おかげで、強~い決意表明ができましたね。
    でも、血圧あげないように!
    みなさん、腹の立つときってどうやって解消してます?
    ヤンは最近、さだまさしさんの新曲「意見には個人差があります」を大声で歌ってます♪
    「頭悪いか無神経なのか両方ともなのか!
    嗚呼 日本が馬鹿で薄まってゆく~♪」
    ちょっと過激?-笑
      ヤン

  5. ええねん、血圧は。
    もともと低血圧やから。
    怒りは自分を前へ進める原動力になります。
    でも、怒ってないねん。
    言葉の通じない人に怒ってもしゃぁない。
    それでも、腹立つ時は、呑む。
    決意表明。           ぽん

  6. ぽんさん
    右に同じ です…
    9月24日のヤンさんのお言葉、真面目に読みました。
    再話についてずっと考えています。
    ヤンさんが、私なんかにも とても分かりやすい言葉で表現して下さるので、大変ありがたいです。
    「再話すること」がどういう事なのか。
    なぜするのか。どうやってするのか。
    ヤンさんの言葉も、ここのコメントにある、ジミーさんやぽんさんの言葉も、とっても心にしみます。
    何となくぼんやりと分かったつもりになってることがらも、いざ人に説明しようとしてもできないし(語彙力無し&構成力無し)、人に説明出来ないということは分かっていないということかもしれないし、人はやっぱり「言葉」で思考し、理解する のですね。ぼんやり考えいるだけではやっぱりわかっているのとは違うので、適切な言葉で表現して頂けると、やっと理解できたのだ、今まで分かっていなかったんだ と痛感し、能力の限界なのか?と悲しくなり、、、ほら、今も着地点を見失ってるし…
    今『話し言葉と書き言葉の接点』という本を再び読んでいます。書き言葉と話し言葉 はそもそも別物で、その接点を 色んな論点から色んな方が探るのですが、昔話についても ちらっと触れられていてちょっと面白いです。
    話し言葉 にも 書き言葉 にもそれぞれ特徴と違いがある。昔話は語られている時は 話し言葉。文字になったら途端に 書き言葉 になっちゃう。だから、その書かれたテキストを語る時には、話し言葉 に戻さなくちゃいけない。だからこの角度から考えた時にも、やっぱり再話って必要なのかも。
    ってまた、変なこと言ってたら、ご指摘、訂正、ご指導お願い致します。
    m(_ _)m

  7. かぶさん
    まじめなご意見ありがとうございます。
    まず告白します(笑)
    主張することのしんどさが、私にはあります。
    じゅうぶんに納得できていないことや、自分の中から出てきたと確信のあることしか、主張できない。性格的にね。
    だから、受け売りしたり、頭の表面で考えたこととか、口から出まかせとかができない。
    それで私の主張は、今の私の頭のなかそのまんま。ある意味恥ずかしいけど、ぶっちゃけないと、ほかの人の意見が聞けないと思うの。
    みなさま、ご意見ください(笑)
    それとね。
    わたし、書くことで自分の主張を、ほんまやな?だいじょうぶやな?って、確かめてる。
    自分に、わかりやすく説明してるんですね。
    だから、かぶさんにとっても、分かりやすいのかもしれない。
    けど、再話ってもっと深いものだって考える人もいるかもしれない。
    そんなかたも、どうぞご意見ください!
    かぶさん、話し言葉と書き言葉の問題、わたしもものすごく考えています。
    日常語で再話するときはけっこう自然な話し言葉になるんだけど、共通語がね、むつかしい。
    私は、共通語で話をしないから。テレビで聞くだけですからね。
    どうでしょう?
    みなさま、ご意見くださ~い!
      ヤン

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